Vol.320

 

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老いゆく日に   みすゞの詩と

長門市仙崎出身の童謡詩人、金子みすゞがこの世を去って90年。命の輝きを見つめる作品は、老いることの不安や死への恐怖にもそっと寄り添ってくれる。そのまなざしから、人生100年時代を生き抜くヒントを探したい。ホスピスケアや在宅診療に尽力し、みすゞの作品から医師として大切なものを学んできたという末永和之さん(山口赤十字病院緩和ケア科部長、定年退職。)に、詩の世界を案内してもらった。

@命の意味とは ― 人の成長、最期まで続く

 すべての命に意味がある。そしてどんな命も等しく価値がある。みすゞさんの作品の根底に流れる強いメッセージです。仏様はミソハギの紫色の花の露によって潤いをいただいているとされています。ミソハギの露は輝く命。これまで死と向き合う何人もの患者さんに接してきて思います。一人一人の人生には必ずキラリと光るものがあり、存在すること自体に意味があるのです。
  同時に、みすゞさんはすべての命は宇宙の中にあると言っています。「大きな大海」の「小さな一しずく」なのです。自分は自然の分身で、いつか無限へと還(かえ)っていきます。
  死に向かうことをむやみに恐れず、あらがわず。生きているうちは、自分のいただいた使命を地道に果たしていけばいい。自分でできることはできる限りする。ありがとう、おかげさまの気持ちを持つ。そうすれば最期のとき、おのずと自分の人生に二重丸をつけ、安寧な心で終えていくことができると思うのです。
みすゞさんの詩はいつも、見えないものにこそ命の存在を見いだず温かいまなざしがあります。

 多くの人と交わり、さまざまな経験を積み、苦労を重ねてきた高齢の人ほど「見えぬもの」が見えるのではないでしょうか。小さな命への慈しみ、ささやかな幸せへの喜び。普段の生活で見過ごしてしまいがちな輝きへの感度は、年を重ねるとともに高まるような気がします。
  それは、年を取れば取るほど当たり前にあったものがそぎ落されていくからとも言えます。自分で自分のことができなくなったり、愛する人との別れが迫ってきたり。失うものを実感し、孤独や恐怖にさらされる。だからこそ、見えないものに目を向ける優しさ、答えのない悲しみを受容する強さが必要になってきます。死を迎えるまで、人間は成長し続けることができると思うのです。

 

A人生の最期まで ― 自分の使命を果たそう

 老いることや死に向かうことにどう折り合いをつけていくか。@では、そうした心の持ちようについて考えた。Aでは、いかに最期まで生き抜くか。童謡詩人金子みすゞの作品に人生100年時代の心の処方箋を探したい。
ホスピスの現場で患者さんやご家族に寄り添うとき、最も大切だと思うのは「つらい」と言えるかどうかです。そのつらさに寄り添い、傾聴し、分かってあげる人が必要なのです。肉親でなくても、友達でもご近所の方でも介護職員でもいい。こだまのように、まるごと受け止めてくれる人が一人でもそばにいると救われるのです。
そう思う時、私には胸がチクリと痛む記憶があります。私が書斎で仕事をしていたとき、認知症になった母がドアを開けて何か言いたそうでした。私はつい「忙しいから閉めて」と言ってしまった。そのときの寂しそうな母の顔が忘れられません。とても後悔しています。なぜ「大丈夫かね。入っておいで」と声を掛けられなかったんだろうと。

みすゞさんのこの代表作には、静かだけれど前向きなエネルギーを感じます。人間だけではなく、すべての生きとし生きるものに注がれるまなざし。そこには相手の存在をまるごと認め、受け入れる「おかげさま」の世界があると思うのです。           
一方で、自分は自分なんだ、他者と比べたりしない、それぞれに価値があるという毅然としたメッセージも読み取れます。
自分の人生は自分でつくるもの。私は「人生とは体積である」と思っています。その尺度は「一日満足度×年齢」。不満や愚痴ばかりでいると心が貧しくなり、いくら長生きしても体積は増えません。
まずは自分のいただいた使命を果たしましょう。そして自分が役に立っている、生かされていると感じることです。さらには必要とされていると感じ取ることです。
どんな人生を歩もうとも、自ら選択し決断した結果です。そこで何をつかみ何を行い、何を幸せと感じるかはひとえに己の心次第です。泣くも、笑うも、喜ぶも、悩むも心の在り方一つなのです。今日の一日は誰にでも平等に与えられるのですから。

「中國新聞」2020年5月/6月