鎌田 實 著『こわせない壁はない』より
鎌田 實(かまた みのる)プロフィール
医師、作家。1948年、東京都に生まれる。東京医科歯科大学医学部卒業後、長野県の諏訪中央病院に勤務。一貫して地域医療に携わり、住民とともにつくる医療を実践。2005年より同病院の名誉院長を勤める一方、東日本大震災の被災地や、チェルノブイリ、イラクなどへの医療支援に取り組む。2000年、著書『がんばらない』が大ベストセラーになりテレビドラマ化もされた。日本テレビ系「news every」への出演や、ラジオのパーソナリティも務める。毎日新聞ほか、新聞や雑誌の連載エッセイも執筆。2006年、読売国際協力賞、2011年、日本放送協会放送文化賞など受賞。
著書には、『がんばらない』(集英社文庫)、『がまんしなくていい』(集英社)、『大・大往生』(小学館)、『〇に近い△を生きる』(ポプラ新書)ほかがある。
2011年夏、白樺湖でのサマーキャンプに、福島の母子約1000人が集まった。通販生活が呼びかけ、茅野市が協力した。ぼくが代表をしている日本チェルノブイリ連帯基金(JCF)では、信州大学と協力し、希望する子どもに健康診断を行った。
頭痛、腹痛を訴える子。鼻血がある子。「眠れない」という子も少なからずいた。
眠れないなんて、子どもたちの心は想像以上に傷ついているのかもしれない。なんとかしてあげたい。
絵本作家のいせひでこさんから『木のあかちゃんズ』(平凡社)という絵本が100冊送られてきた。お礼の電話で話しているうちに、急に話がまとまった。
「子どもたちに、絵本の読み聞かせをしに行こう」
9月下旬、いせさんと、彼女のパートナーでありジャーナリストの柳田邦男さん、ぼくの3人で、南相馬市立中央図書館を訪ねた。
そこは、すばらしい図書館だった。絵本を含めた蔵書が豊か。なんといってもユニークなのは、屋上に「天空のテラス」と呼ばれる場所がある。本を読んで泣きたいとき、物思いにふけりたいときは、そのテラスで過ごす。泣ける場所がある図書館なんて、いいなあと思った。「すき間」のある図書館である。
そもそも絵本には、「すき間」がいっぱいある。
ぼくは、いい絵本には、自分を育てる力があると思っている。絵本のページをめくるたびに感じるワクワク感。「すき間」のある絵と文章のなかに、空想の世界を広げ、自分自身を投影していくことができる。
48歳でパニック障害になったとき、ぼくは絵本に助けられた。それまで家庭を顧みなかったぼくは、高校生の娘にも反発されていた。家中がぐちゃぐちゃだった。
娘との関係を修復したい。そう思って、気に入った絵本を見つけると、手紙を添えて娘に贈り続けた。そこから、娘との関係が育っていった。絵本は、ぼくと娘のあいだにあった大きな壁をこわしてくれたのだ。
今、ぼくは3人の幼い孫たちに絵本を贈り、遊びに来たときには読み聞かせをするのが大きな喜びになっている。
図書館では、いせひでこの部屋、柳田邦男の部屋、鎌田實の部屋というふうに3つのスペースを設け、子どもたちが自由に訪ねられるようにした。
ぼくは、本物の聴診器を子どもたちに見せながら、自己紹介した。
「内科のお医者さんなんだけど、絵本もかいている変なおじさんなんだ」
子どもたちの目がいっせいにこちらを向く。
『ぼくをだいて』(偕成社)という、はたよしこさんの絵本を読み始めた。
「風だいて、ぼくをだいて」
「草むらだいて、ぼくをだいて」
「雲だいて、ぼくをだいて」
「空だいて、ぼくをだいて」
美しいフレーズがくり返される。
原発事故以降、30キロ圏内では子どもの外遊びは難しい状況になっていた。
「子どもたちを草むらでごろごろさせてあげたいのに、福島ではもうしばらく無理ですね」
と、ある保育士が悲しそうに目を伏せたことが忘れられない。
福島の子どもたちは、放射線から身を守るために屋内で過ごすことが多くなった。こんな事態を起こした大人の責任として、いつか子どもたちが安心して風に抱かれ、草むらに抱かれ、空に抱かれる日を取り戻さなければならない。
絵本はこんなフレーズで終わる。
「母さんだいて、ぼくをだいて」
このとき、はっと気がついた。 絵本を聞いている子どもたちのなかに、津波でお母さんを失った子がいるかもしれないと思ったのだ。
南相馬の海に面した地域は大打撃を受けた。震災から6カ月過ぎたこのときもまだ行方不明者の捜索が続けられていた。
「ぼくも、子どものころ、事情があって、お母さんがいなくなってしまったんだ」
子どもたちが、しんとなって、聞き耳を立てた。
「お母さんはいなかったけれど、いろんな人がぼくを抱いてくれた。近所のおばさんや学校の先生、友だち。だから、ぼくはさびしくなかった。元気がない友だちがいたら、ぎゅっと抱いてあげるといいね」
ぼくがそう言うと、子どもたちは大きな声で「はあい」と答えた。
絵本を読み終えると、子どもたちはぼくとハイタッチをしたり、握手をしたりして帰っていった。 ひとりの女の子がやってきた。
「おじさん、ぎゅっ、してあげる」
そう言って、両腕でぼくをぎゅっと抱きしめた。
完全に、予想外。震災後、休む間もなく支援に入ってきたが、疲れが飛んだ。
ファーっとあたたかくなった。
子どものころを思い出した。
「母さんだいて、ぼくをだいて」
自分の心の声が聞こえてきたような気がした。