JT生命誌研究館名誉館長 中村 桂子
中村 桂子(なかむら けいこ)プロフィール
1936年東京生まれ。東京大学大学院理学部生物化学博士課程修了。理学博士。三菱化成生命科学研究所人間・自然研究部長、早稲田大学人間科学部教授、東京大学客員教授、大阪大学連携大学院教授を歴任。
1993年JT生命誌研究館を創設。長年館長を務め、2020年名誉館長。著書に「自己創出する生命」(ちくま学芸文庫/毎日出版文化賞)、「絵巻とマンダラで解く生命誌」(青土社)「いのち愛づる生命誌」(藤原書店)「人間が生きているってこういうことかしら?」(ポプラ社)他多数。
私の仕事は「生命誌」の研究です。人間は自然の一部で、生き物であるというのが生命誌の考え方です。地球上には、何千万種類もの生きものがいます。その生き物は皆、たった1つの細胞から始まり、40億年の歴史を持っています。
どの生きものも、例外なくDNAが入った細胞でできており、進化の過程を調べてみると、これは偶然ではなく、全ての生きものがたった1つの細胞から始まったことがわかってきました。40億年前に海の中にいた細胞が、長い年月をかけて進化し、キノコになったり、ゴリラになったり、滅びましたけれど、恐竜にもなりました。ものすごく多様ですが、全てはみんな1つの細胞から出た仲間です。
私が高校で生物学を学んだ時は、下等生物がいて高等生物になると習いましたが、今、高等・下等という言葉はありません。バクテリアもキノコもアリも、40億年かけて今生きている。人間も同様です。それぞれの生きものが、それぞれに生きている。全て、40億年の時間をかけて進化してきたいのちなのです。
人間が作る道具、例えば自動車は、時間があれば作ることができます。でも人間にはアリ1匹でさえ、決して作れません。アリが1匹ここにいたら、親がいないといけない。アリは「作る」ものではなく、「生まれる」ものです。アリの中に40億年という大変な時間が入っています。それがなかったら、私たちも今ここにいないのです。いのちの大切さには様々な意味があります。私たちは、40億年という長い時間をかけなければ生まれてこられなかった。この1点だけでも大変な事です。
私たちは生きものの中で、人間だけは特別だと思っていませんか。そして、人間が自然を破壊する中で、絶滅の危機にある動植物が増え、“上から目線'’で「生物の多様性を守らなければいけない」と考えるのは間違いです。本来、多様でないと生き物はいられませんし、みんながいるから人間もいるのです。
生きものの世界というのは、平等ではなく“フラット”、つまり皆同等です。ライオンとアリを比べて、どちらかが偉いと言っても意味がありません。そして、人間も生きものですから、私たちの世界も本当はフラットなはずです。それは同じということではなく「みんな違うけれど、1人1人はそれぞれ意味がある」というのが、私が学んで学んできた生物学が教えてくれた『生きものとして生きる』ということの意味なのです。
私たちの身体の中には、色々なバクテリアがいます。バクテリアは一番最初に生まれた、一番古い生きものの仲間です。それがずっとバクテリアなりに進化して、今います。私たち人間は、20万年前に生まれました。その一番新しい私たちと、40億年前に生まれたバクテリアが、今一緒に生きていて、私たちは食べたものをきちんと消化することすらできません。もしバクテリアが全部いなくなったら、私たちは生きてはいけないでしょう。
私たちは、生まれた時に両親からDNAを貰って、それを自分のものとして生きています。それ以外に、バクテリアの持つDNAが食事や運動等から入ってくるので、ちゃんと食事しているか、しっかり運動をやっているかで決まってくることもあります。つまり、遺伝も環境も両方とも大事で、“私”というものが創られていると、最近わかってきました。
私たちの社会は今、古いものをどんどん捨てて、なんでも新しいのがいいと言っていますが、生きものは一度も捨てていません。「共生」と言いますが、いなければ生きていけない、そういうものと一緒に人間は生きているのです。
私たちも自然の一部です。だから、自然を壊すようなことをやっていたら、私たちの身体も心も壊れてくる。最近、虐待やいじめなど様々な問題が起きていますが、それもやはり、今の社会が私たちと言う自然を壊しているから起こっているのです。
そして、心を壊す一因になっているのは、「急げ、急げ」と言って時間を切る。それから、関係を切る。これが起きていると思います。昔の人たちはこれがわかっていたから、「忙しい」という字は心を亡くすと書いてできました。
私は、長年研究をしていて思うのは、研究をすればするほどわからないことが増えていくということです。そうすると、自ずと謙虚にならざるを得ません。それは「自然は凄い」「生命は凄い」と思うからなのです。
自動車を作る、と言います。お米は作れますか?作れません。お米は稲という生きものを育てて、実ったらそれをいただくのです。ところが「お米を作る」と言うでししょう??それが、だんだん「子どもを作る」になってしまった。「子どもは作るもの」ではありません。人間が子どもを作れるわけありません。言葉は意外に重いもので、そう繰り返し言っているうちに、勘違いが起こってくるのです。
人間とはどういう存在か。生きものは、アリでもライオンでもそれぞれ能力を生かしています。人間も、人間にしかない能力を生かしていかないといけないことは確かです。手が自由になり、脳が大きくなり話ができるという人間だけの特徴は生かしていかなければいけない。
ヒトという生きものは、決して強い生きものではないことが分かってきました。弱いから様々な工夫をして、家族を作って、みんなで仲良く共同の手育てをして暮らしています。私たちには想像力がある。だからクリエイティブであって、こういう力はどんどん生かしていかなければいけない。けれども、人間は生きものである。ということは忘れないで頂きたい。
そこで私の提案は、「私たち生きもの」として生きることです。皆さん、それぞれ“私”です。しかも現代社会は個の確立が大事にされる。それはわかるのですが、私が一人でいるということは決してあり得ない。私は私たちの中にしかいません。私たちとは、友人や家族等、人間だけのことではありません。
まず、「私たち生きものの中の私」と思って下さい。そうすると、それは地球の上で暮らす仲間たちであり、大きな宇宙の仲間です。そのように考えると、生きものの中で、80億人程のホモ・サピエンスという、1種類の仲間です。チョウチョは1万何千種類位いるのです。ゾウだって、アフリカ象やインド象等の色々な種類がいます。 しかし、ヒトという生きものは1種類しかいません。中国でもロシアでもアメリカでも、どこの国にいる人も、全員アフリカから出た1種類から生れ出たのです。
2025、生命尊重ニュース4月より抜粋