小児外科医・作家 松永 正訓
拙著『奇跡の子』の主人公は、18トリソミーの希(まれ)ちゃんです。結婚して待望の赤ちゃんを授かったある夫婦は、地元の産科病院で超音波検査をし、胎児に先天性横隔膜ヘルニアと染色体異常の疑いがあると言われます。そこで、高度先進医療を行うX病院で再度超音波検査を受けると、医師から18トリソミーかもしれなと言われる。「18トリソミーの子は身体が弱く手術に耐えられず、生まれてすぐ亡くなる恐れもあるので手術はしません」と宣告されます。
お母さんが「死ぬために生まれてくるようなものですね」と言うと、医師は答えずに妊娠継続の意思を尋ねました。「中絶した方がいいのでしょうか?」と聞くと、「それは家族で決めることでしょう」と冷たく言い放たれました。
お母さんは羊水検査を受け、18トリソミーが確定しました。しかし、ご両親は「予後が悪いから治療しない」のは矛盾している、治療しないから予後が悪いので、治療すれば長く生きられるのではと思いました。
それで、X病院からA病院に転院しました。そこの医師は「うちでは、18トリソミーでも、その子に最もふさわしい治療を行います。治療しない自然生存率は10%、治療すれば30%、うちで治療すれば50%です」と言いました。ご両親は確率は50%だが、最大限の治療を受けられれば、もしもの時に受け入れることができるかもしれないと思いました。
A病院では、新生児科医を中心にチームが組まれました。まず、超音波検査で小脳低形成、心房中隔欠損症、心室中隔欠損症他の心臓の奇形がわかります。また、横隔膜ヘルニアがあり、腕が短縮しています。
2019年1月9日、妊娠40週の帝王切開で女の赤ちゃん、「希ちゃん」が生まれました。体重は1538g、泣き声もか細く、すぐNICUに運ばれました。生まれると横隔膜ヘルニアではなく、先天性肺嚢胞(肺の良性腫瘍)でしたが、先天性食道閉鎖もありました。医師から「赤ちゃんは生まれた時、小さい声で泣き ました。手術をしても宜しいでしょうか」と言われ、ご両親は迷わず手術を希望されました。
希ちゃんは、生後8時間で5時間の手術を受け、食道の応急手術をし、胃ろうからミルクを入れる事になりました。開腹すると、腸に穴が見つかり応急手術をし、人工肛門を作りました。翌日、ご両親は初めて希ちゃんに面会できました。お母さんは、希ちゃんのあまりの可愛さにとても喜ばれました。
さらに、心臓を治すには小さすぎるので、生後2週で肺動脈を縛る大手術を受けます。生後28日、お母さんは初めて、気管内チューブを入れた希ちゃんを抱っこする事ができました。生後3カ月、肺嚢胞が大きくなり、呼吸困難になります。命の危険があり、体重2300gの希ちゃんは5時間の手術を受け、左肺の半分を摘出します。
生後9カ月、希ちゃんは、生まれて初めて退院できました。医療的ケアも必要でしたが、夢に見た、家族全員揃った自宅での生活でした。しかし、気管軟化症が見つかり、生後10カ月で気管切開をしカニューレを入れました。
試練は続き、1歳11カ月、肝臓に癌が見つかりました。お母さんは「神様って本当にいるのでしょうか」と言われました。希ちゃんは肝臓癌の摘出手術を受けました。2歳0カ月、気管から大量出血が続いたので、開胸手術を行いました。医師からは、手術中に亡くなる恐れもあるとの説明がありました。希ちゃんは12時間の手術に耐え、出血も止まりました。
その後、希ちゃんの容態も落ち着き、桜咲く道を家族3人で散歩し、青空の下、希ちゃんは風や陽の光を感じたり、七五三のお祝いもしました。コロナ禍で両親はリモートを多用し、交代で在宅ケアをしました。もの凄く大変だったはずですが、2人とも辛いと思った事は一度もなかったそうです。
法律職のご夫婦は、医療チームの献身的な働きに、心から敬意を持たれました。そして、今迄以上に人や社会に役立てる人間になろう、と決意されました。
2歳10カ月、希ちゃんは、中心静脈カテーテルから感染を起こし敗血症になりました。心不全が一気に進行し、心臓の根治手術が中止になりました。感染症は治療でき、穏やかな毎日を過ごしていましたが、徐々に心臓の機能が下がっていきます。
2021年12月8日、希ちゃんは2歳11カ月の人生を閉じました。「家族でやりたいこともありましたが、希ちゃんが生きてさえいてくれればそれでよかった。それ以外に望むものは何もなかった」とお母さんは言われました。
この頃、慈恵病院の蓮田健院長は、内密出産について「赤ちゃんには罪も責任もありません。赤ちゃんの幸せのために目を瞑(つぶ)ってお許し頂きたい」と発言しました。希ちゃんのお母さんはTVを見て「これだ!」と思われました。今日本では、約4万5千人の子どもが親と一緒に生活できず、その内4万人は施設養護(乳児院・児童養護施設)、5千人は家庭養護(里親・特別養子縁組)です。
特別養子縁組は、戸籍上実親との関係を切り、育ての親の戸籍に実子として入れる制度です。育ての親に登録するには、性別・戸籍・障害の有無等一切条件をつけず、どんな子どもでも迎え入れる〝無条件という条件″があります。
ご夫婦は民間の斡旋団体に登録し、通常は1年かかる所、すぐ連絡がありました。その子は男の子で、裂手症・裂足症で手がVの字に割れており、足の指も親指と小指の2本しかありません。実親はこの子を手放そうと思っていました。団体から打診があり、2人は迷わずこの子を迎え入れます。その子はMくんと言って、試験養育機関を経て2人の実子になりました。
希ちゃんが生後3カ月の時、お母さんはFacebookにこう書かれました。「障害や病気の子を持つと、特に母親は生活が変わり、色々なものを失うイメージがあります。でも、私は希ちゃんの母親になり、多くの貴重な経験をして今まで以上に世界が広がりました」。4年経ち、この言葉が真実になったと思えたそうです。
選択の連続だったご夫婦の最後の決断は、他人が生んだ障害がある子を我が子として迎える事でした。私は、このご夫婦ならMくんを立派に育てていけると確信しています。子どもと出会うこと、新しい命と出会うことは〝奇跡″です。この国が、命を重く見る社会へと成熟してほしいと思います。
生命尊重ニュース 2024年10月