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園児の声がうるさい

―苦情の裏に地域での孤立―

 訴えた女性宅に隣接する保育園は、低層マンションが立ち並ぶ住宅街の一角にあった。平日の昼前、園のフェンス越しに、園児たちが園庭でボールを蹴ったり、追いかけっこしたりしている姿が見える。園の外にも「キャッ」「キャッ」とはしゃぎ声が響いていた。

 近くで会社を経営する男性(77)は「園児の声がうるさい?むしろ癒されるよ」。 マンション住民からは「近くの幹線道路を走る車のほうが騒々しい」との反応が返ってきた。  苦情を訴える女性の一軒家の自宅を訪ねると、2階から園児が見え、窓を閉めていても時折、園児たちの声が聞こえてくる。

 女性の話を聞くと、意外な言葉が返ってきた。「保育園は唯一の地域交流の場だったんです」。かつては園に愛着があったという。

 女性は一人暮らしで、ここで生まれ育って60年になるという。近くに幹線道路が通ってから、畑ばかりだった一帯は開発が進み一変。新住民が増えるとともに地域のつながりは薄れていった。母の介護のため会社を辞めてから、園との交流に救われた。「夏祭りや運動会に招かれたり、年末にはお餅を届けてくれたりして楽しかった」と振り返る。  ところが、5年ほど前から園との交流が途絶えるように。それまで気にならなかった園児の声がうるさいと感じるようになったのは、その頃からだ。  女性は今年10月に母を亡くし、「話し相手がいなくなった」と孤立を深める。 たびたび園に苦情を訴える一方で、「せめてあいさつだけでも交わしてほしい」とも語る。

  この話を園に伝えると、担当者は「園児との交流を望んでいたとは思わなかった。コロナが収まったら誘いたい」と話した。園では、地域交流を再開しようと考えていたところにコロナが襲ったという。

 子どもの声を巡っては、区も対応しているが、解決しきれていない。過去には、近隣住民の反対で開園を断念したり、延期したりした園もあった。区保育課の課長は「各園には普段から地域と良好な人間関係を築くよう協力を求めているが、 苦情はなくならない」とうち開ける。

今回の女性の心理を裏付けるようなデータがある。

 厚生労働省が2015年に実施した「人口減少社会に関する意識調査」では、保育園児の声を「騒音」と捉えた人は、「地域活動に不参加」で38.9%、「年数回参加」で29.8%、「月1回参加」で26.0%。地域での交流が少ない人ほど、子どもの声に不寛容な傾向があった。  橋本典久・八戸工業大名誉教授(音環境工学)は「女性のケースは、人間関係が絡んで心理的に騒音に感じる『煩音(はんおん)』の典型だ。孤独や不安からフラストレーションがたまると、不寛容になりやすい。孤立という現代社会の一面を映している」と分析する。

「東京新聞・朝刊」2022年12月21日

子どもの声は騒音なのか

「大きな声でのはなし、わらい声などは、まわりに住む人からやめてほしいと言われています」
  最近、私の住むマンションの前の歩道に、こんな注意書きが掲げられた。子どもたちに向けたメッセージである。貼り紙にマンション名があるので、住人から苦情があったのだろう。

 歩道は、小中学生の通学路になっていて、毎日たくさんの子どもたちが通る。友達と会えば笑ったり、声が大きくなったりすることもあろう。小学生の息子に「道路でしゃべるな」と注意しなければいけないと思うと、少し悲しくなった。

   6~7年前、待機児童解消のための保育園の開設が、騒音を懸念する住民の反対で断念されたり、延期されたりしたのを思い出した。最近も、子どもの声が原因で長野市の公園が廃止されるというニュースが話題になっている。子どもの数は減っているのに、子どもの声を騒音を捉える風潮は強まっているように感じる。

 そんなことを調べていて、「煩音(はんおん)」という言葉に目が留まった。音量がさほど大きくなくても、心理状態や人間関係によってうるさく感じてしまう音をさすという。

 この言葉をつくった八戸工業大名誉教授の橋本典久さんは、「現代の音の問題は、その多くが騒音問題というより、煩音問題だ」と訴える。

 確かに私も、自宅でオンライン会議をしていた時に、近所の赤ちゃんの泣き声が聞こえてきてイラッとしたことがある。普段は「かわいい声だな」と思っているのに、仕事で追い立てられていたからかもしれない。

 歩道の子どもの声に苦情を訴えたご近所さんも、何か事情があるのかもしれない。不景気、格差、コロナ禍、孤独―。社会への不満や不安のはけ口が、子どもの声に向かっているのだとすれば、やりきれない。

「読売東京・朝刊」2022年12月11日

子どもの力を信じて60年

―95歳現役保育士、教え子3000人―
 「保育園とは自由に生きる力を育む場所です」-と穏やかに話す栃木県足利市の保育士、大川繁子さん(95)は、ことし保育士60年の節目を迎えた。市内の認可保育園「小俣幼児生活団」に努める人気の「おばあちゃん先生」。これまでの教え子は約3000人で、現在も子どもたちとふれあい、ピアノを弾いて美声を響かせる。「子どもたちが目いっぱい自分の花を咲かせて幸せになることが私の願いです」と語った。
 大川さんは1927年、東京都内で生まれた。戦時中の45年に東京女子大数学科入学。嫁入りのために翌年、学校を中退し、47年に嫁ぎ先の足利市に。62年、夫の母が始めた同園に保育士として就職、72年に主任保育士となり、現在に至る。
 園長を務めるのは大川さんの次男、真さん(72)。母と二人三脚で園を運営してきた。理念は「子どもは大人と対等。体が小さいだけ」。上の立場から決して褒めない。見守るが、指示はしない。ルールは子どもが決め、行動に責任を持たせ成長を促す。モンテッソーリ教育、アドラー心理学を取り入れた指導法という。
 築170年の古民家を活用した園舎が立つ3千坪超の園内を、子どもが自由に走り回る。真さんは「『ほったらかし保育園』と批判されたこともあったが、信念を貫いた。いまでは入園のため他県から移住される家族もいます」。
 自立した子どもが育つ、小学校入学後の成長が大きい―など教育関係者の評価は高く、全国から視察や見学が相次ぐ。「奇跡の保育園」と呼ぶメディアもある。

「東京新聞・夕刊」2022年12月15日